すれ違い家族はコミュニケーション不足に注意しよう
どんな人でもコミュニケーションが必要です。会話があることで、相手の気持ちも理解できますし、自分の思いも伝えることができます。
しかし、大事なコミュニケーションを取るべき相手がいるにもかかわらず、それかできないケースが自分の身近な所でないでしょうか?それは家庭内のコミュニケーションです。
お父さん、お母さん、息子、娘と夫婦間、親子間、そして兄弟間の中で、全く会話がない家族が多いのです。本来、会話が弾んで明るい家庭だったはずなのに、今は会話が弾まないどころか、全く言葉も交すことすら、しないのです。
目次
昔は多くのコミュニケーションがあった家族
しかし、どんな家庭でも昔はコミュニケーションがそれなりに取れていたはずです。
夫婦間でも、新婚時代は蜜月の時代で、毎朝のキッスから始まり、周りから見ても視線を反らしたくなる程に仲睦まじい関係だったはずです。新婚時代から全く会話がないことはありません。
そして、子供が生まれてきた時です。待望の赤ちゃんを授かり、初めて親となれた嬉しさや喜びは格別だったはず。
息子や娘も片言でも話せるようになってから、余計に楽しく家庭が今まで以上に明るくなってきたはずです。夫婦も親子模あかるい団らんで毎日が楽しくなったはずなのです。どんな家庭でも、始めからコミュニケーションがないことはなかったはずなのです。
いつからコミュニケーションが希薄になったのか?
そう、思い返すと、いつから会話をすることが少なくなったのでしょう。夫婦間では、一般的にご主人の仕事中心の生活が続くようになってからかもしれません。新婚時代に夫婦共働きだった2人でも、奥さんの出産をきっかけに、子育て中心になっていくものです。
しかし、お子さんに手をかけ過ぎて、ご主人との会話がだんだんと少なくなってくるケースが少なくないのです。
その時に、ご主人の気持ちは自分でも気付かない間に家庭から離れていくことが、時々出てくるのかもしれないのです。
ある意味、気持ち的に家庭以外に心の置き場所を求め始めてしまった結果、夫婦間のコミュニケーションが希薄になっていくのです。
それが仕事に行っているうちは、まだ救われるのですが、浮気・不倫となってしまったなら、最悪です。どんな時でも夫婦間のコミュニケーションが明るい家庭を支える基盤とも言えます。
もし、夫婦の間が冷え切っていたなら、その空気は子供達まで伝わってくるのです。
したがって、家族間の明るく気持ちの入ったコミュニケーションが維持されるためには、ますます夫婦の間が良くならないとダメなのです。
スポンサーリンク
親子間のコミュニケーション
次は親子間コミュニケーションです。
子供が生まれて来た時は、とても可愛くて、いつも自分の横に置いていた息子や娘。
眠る時も、横に置いてスヤスヤ顔を子供の寝顔を見ると、自分の命に替えても守り続ける気持ちになる程です。それだけ自分の子供は可愛いはずでした。
子供もおしゃべりができるようになってからは、本当に楽しく家庭内の空気がタ明るく楽しくなっていたはずです。
たとえ、夫婦喧嘩をしていても、子供がギクシャクした関係を潤滑油のように柔らかくしてくれていたものです。「子はかすがい」とよく言ったものです。
しかし、そんな可愛かった子供との会話をいつしか少なくなってきました。これもすれ違いから来ることや思春期から来るものの2つがあります。
特に娘を持つ親は特にそうかもしれません。娘と母親の会話は残っていても、父親と娘の会話が希薄になることがよくあることです。これは思春期とあることや、異性から来る反発心だけで語れるものではありません。
父親と娘のコミュニケーションの希薄さ
父親と息子の男同士の語り合いができている家族でも、父親と娘の会話が全くないという父娘も少なくありません。いえ、むしろそれが当たり前と言える程に多いのです。
しかし、これはむしろ健全な傾向と受け止めることができる感がえもあるのです。それは父親~娘の近親相姦的なことを避けるための遺伝子的な習慣とも呼べることのようです。どんなに仲の良い父娘でも、会話が全くなくなる時期は必ずあります。
しかし、年月を経て再び、会話が復活してくるのです。それでも会話がない時期は寂しい気持ちになることは否めません。
男同士の会話
父親と息子の会話はどうでしょうか?
比較的に会話が成り立ちやすい関係でもあるのですが、やはり、思春期は、親子間の会話がなくなることがよくあります。
これは、息子から見て同性である父親への反発心でもあり、成長の証でもあるのです。
この時期の息子の成長を頼もしく見守るしかないのかもしれません。
母親と息子
今度は逆に母親と息子の関係です。
父親と娘の関係と似ているのですが、異性であることから、まず息子が母親を敬遠するようになってきます。
自分のお腹を痛めて産み育ててきた息子の仕打ちは、母親としては、とても辛いことだと思うかもしれません。
しかし、これも成長している証拠なのです。
したがって、息子が母親を敬遠することは、寂しいながらも、心から応援していく気持ちは保ち続けておきたいところです。
会話がない家庭の特徴
夫婦・兄弟の生活パターンがバラバラ
子供達も中学を卒業して、高校・大学と大人になるに連れて、一緒に行動することが一気に減っていきます。これは仕方のないことです、
友達・恋人との付き合いが増えてくるために、どうしても家庭にいることが少なくなります。
これも成長している証なのですが、たまに家で会っても全くコミュニケーションがないことは、とても寂しいことです。
年代的に会話を避けたくなることも珍しいことではありませんが、気持ち的に視線を合わせたくもないし、同じ場所で同じ空気を吸いたくないというところまで考えている子供達もかなりいるのです。
たまたま同じ屋根の下の数人の人間が同居しているだけと思ってしまうこともあるでしょう。
その状態が家族の中で全く会話がない状態であり、冷えきった家族になりつつあるのです。
冷え切った家族でも最低限のコミュニケーションを保つこと
確かに親子関係の中で、親に対する反発心や異性に対する複雑な気持ちでコミュニケーションが途絶えてしまう時期があります。これは子供が大人に成長していく中でのあるべきステップなのかもしれませんし、そのうちに必ず会話が再び戻って来る可能性もあります。
しかし、そうだからと言って、そのまままにしておくだことは避けるべきです。どんなにゼロコミュニケーションの状態でも自然と良くなってくると楽観していてはダメなのです。最低限のコミュニケーションを取り続けているだけでも、後々の家族間のコミュニケーションの復活に大きな差を産んでいくからてす。小さなことでもいのですが、チョットした会話を継続的に行うこと、声をかけることです。
最低限の会話とは?
でも、最低限の会話とは何でしょうか?単純なことです。それは挨拶。
おはよう。おやすみ。ありがとう。お疲れ。
誰もか気軽に声をかけることができる最低限のコミュニケーションですが、この挨拶や言葉を常にかけ続けることです。
それだけでいいのです。
おはよう、お疲れという言葉を聞いた息子や娘は、
「何がお疲れなんだ?」
とひねくれた受け止め方をしているかもしれません。
しかし、その気持ちは、きつしかキレイになくなっていきます。まるで硬い氷が溶けていくように、心に変化が生まれていくのです。
そのようなことから、声をかけづらいかとしれませんが、「おはよう」と「お疲れ様」、「おやすみなさい」という言葉は、かけ続けるべきなのです。
その思いは何年かかるか分かりませんが、必ず届くものです。
夫婦間の会話も大事
ここで、家族間のコミュニケーションを維持させたり、復活させるためには一番鍵となるのが、夫婦間のコミュニケーションなのです。
夫婦間の会話や相互理解がなかったなら、絶対に家族の間が上手く行くわけがありません。
夫婦・親子が完全にバラバラになってしまい、明るい家庭が復活することは奇跡と言うしかありません。
それ程に夫婦間のコミュニケーションは、家族を明るく健全にさせる基盤と言っても過言ではありません。
特に子供が思春期の時期の夫婦間の関係が大きく子供達に影響を及ぼしでしまいます。
もし、2人の中が冷え切っていると、子供にもその空気が伝わってしまうのです。まだ、母親と子供達の間でコミュニケーションが残っているなら少しは救われますが、それさえなかったなら、もはや、なす術はないとまで言えるのです。
それだけに夫婦間のコミュニケーションはとても大事なのです。
父親が家庭を省みないようになってきて、尚且つ、母親はご主人どの心のギャップを埋める如くに子供に気持ちを寄せていく。
しかし、その子供達も大きくなるに連れて、親から独立していこうと考えるようになってきます。その結果、家族がバラバラになってしまうのです。
夫婦間でそれなりにコミュニケーションが取れているのであれば、子供達が成長して大人の気持ちがりで理解きるようになって初めて、心の通った本当のコミュニケーションが復活していくのです。
コミュニケーションがないことを焦らず、しかし無視せず
家族内のコミュニケーションが希薄になって行くことは、ある意味避けることができないし、難しい問題です。
反面、子供が成長する過程の証拠なのですが、大事なことは、会話がない時期に、どのように子供とパートナーと接して行くかです。
必要最低限の挨拶しかできない時期もありますが、せめてその行動を家庭の家族の絆を守るギリギリのラインとして、維持して欲しいのです。
そうすることによって、子供の成長と同時に必ずや子供は結婚して孫を連れて戻ってくるはずです。
その時は笑顔で子供と孫を迎えてあげてください。
その時に子供達は、思うはずです。
「親に迷惑をかけていたんだなあ。」と。
親から子へ、子から孫へとコミュニケーションが希薄になってしまうことも続いていくのですが、それを親の立場になった子供が体験して初めて親への感謝にもなるのです。